名古屋part2
2007.9.15-16
二ヶ月ほど前に訪れた名古屋。しかし、まだまだ名古屋は奥が深いということに気付いた結果、再度遊びに行くことにしました。 |
9/15
東山動物園 | |
クマ兄さんの祖母から「東洋一」と聞かされていた東山動物園。いつか遊びに行かなければ、と思っていました。入場者の数では旭山動物園、上野動物園についで日本で三番目の規模を誇っています。
東山動物園の入口付近に到着すると、民間の駐車場の看板がたくさんあります。一日数千円もする高い金額で・・・。こんな高いところに駐車できないよぅ、と思っていたらちょっとはなれたところに100円パーキングを発見。こっちに停めたら半額くらいジャン!すぐに100円パーキングに駐車しました。そして、やっとこさ入園したと思ったらネコ娘はベビーカーでご就寝、なんてこった。 |
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早速見に行ったのがペンギン。東山動物園には王様ペンギン、イワトビペンギン、フンボルトペンギンがいました。 |
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ライオンは特別な展示コーナーにいました。この東山動物園のライオンも行動展示をしてました。そのせいか、リラックスして横になってました。行動展示になってないジャン!? |
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はじめて?では無いはずですが過去に見た記憶がないコアラ。テレビなどでは良く見るんだけどね。コアラ舎というところで展示されています。外は大雨だったのですが特別扱いのコアラ舎ということで、雨が止むまでしばらく見学してました。ほとんど寝てたけどね。一匹だけ元気に葉っぱを食べてました。 |
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子供動物園ではヤギに餌付けができます。ネコ娘は怖がってできなかったけど。 |
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ちょうど子供動物園ではタッチコーナーがありました。このときはモルモット。最初は怖がっていたネコ娘ですが、頭なでなでから始まって、慣れてきたら一人で抱っこするまで慣れました。モルモットも大人しくて人に慣れていましたね。 |
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お昼は近くのスナックコーナーで。きしめんとおでんを注文。ごく普通のきしめんでしたが、きしめん自体をなかなか食べられないので、美味しかったです。おでんにつけてある味噌ダレはもちろん八丁味噌。独特の味があって美味。 |
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東山動物園の東側には植物園も備わっています。午後になると午前中の大雨がウソのように天気が良くなり、気温も上昇。植物達も綺麗に映えていました。 |
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左はなんだか分らない(覚えていない)けど葉っぱに模様があってちょっと気持ち悪い草。右はクマ兄さんが大好きなサボテン。特に背の高い、サボテンの典型って感じの奴はベンケイチュウというサボテンで、高さ10m以上にもなる世界最大のサボテンです。このサボテンはアメリカのアリゾナ州からメキシコあたりに分布しており、まさしくメキシコって感じのサボテンでした。 |
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こっちはまた別のサボテンの部屋。夜中に動いていそうなサボテンがたくさん展示されてます。右の写真のサボテンなんてミミズが絡まっている感じにそっくり。 |
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サボテンのほかにクマ兄さんが好きな植物といえば食虫植物。この植物園でも食虫植物の展示は充実していました。
上はウツボカズラ。落とし穴式の捕虫器で、中に入った虫をゆっくり消化し、袋の内側から吸収して養分を吸い取ります。 |
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左の食虫植物はサラセニア・オレオフィラ。こいつはウツボカズラとは異なり、捕虫器の中の液体に消化酵素などは含まれていません。その代わり内部に生息する細菌によって消化してもらうことになっています。
右はタヌキモ科の食虫植物。茎や葉に捕虫嚢を形成し、微小動物を吸い込み罠式に捕らえる、ということだそうです。 |
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左はモウセンゴケ。葉の表面にベタベタのついた粘毛がたくさん付いています。ここに虫がくっつくと養分を吸い取っちゃうのです。実はクマ兄さん宅でもモウセンゴケを育てていたことがありました。しかし、しばらく世話をしないでいたら枯れてしまっていました。残念です。
右はハエトリグサ。二枚の葉が貝のようになっていて、中に虫が入るとパクっと閉じて虫を捕らえます。まさしく食虫植物! |
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左の草もモウセンゴケ。上のモウセンゴケとはかなり違いますが、モウセンゴケ科とは4属100種類にも及ぶ仲間がいるため、同じ仲間ということなんだそうです。
充実した植物園を出ると目の前には大きな蓮の葉が広がった池があります。天気もよくなってきたので、蓮の葉が綺麗だった。 |
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植物園を見たあと、ネコ娘がお昼寝を始めたのでクマ兄さんとペンギン姉さんはおやつの時間。アイスを頂きました。ペンギン姉さんは左のシャビィ(オレンジ)。右はクマ兄さんのコーヒー。天気がよくなり暑くなってきたので美味しかった。 |
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左はオオアリクイ。オオアリクイはその名のとおり蟻を食べる動物ですね。蟻塚などを襲って蟻を食べるそうですが、東山動物園では液状(ヨーグルト状)の食べ物を与えていました。檻の外側に餌を引っ掛けると、オオアリクイの舌がベロベロと伸びてきて食事をしているのを間近で見ることができます。
右はクロサイ。草食性で特にマメ科の葉や小枝、芽などを好んで食べるそうです。性格は凶暴。近眼なのでとりあえず敵と思われる相手に突撃し、それから相手が何者だったのか確認するんだそうです。 |
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左はたぶんテナガザル。檻の前を何気なく歩いていたら飼育員がバナナをちぎって檻の前に置いて行きました。おサルさんは自分の長い尻尾を使ってバナナを拾って食べてました。写真は必死に尻尾を伸ばしてバナナを拾っているところ。こんな意地悪して可哀想、という人もいるかもしれませんが、動物園ではこうやって少し意地悪をして、動物に体と頭(知恵)を使わせた方が良い刺激になってストレスを軽減するんだそうです。遊び感覚なんでしょうね。右はアフリカゾウ。ゾウにはアフリカゾウ(サバンナゾウ、マルミミゾウ)とアジアゾウ(インドゾウ、セイロンゾウ、スマトラゾウ、マレーゾウ)の6亜種いるそうです。 |
この日は一日東山動物園を堪能して終了。園内を見て回るのに丸一日かかっちゃいました。東山動物園を出発したら、多治見まで移動。名古屋周辺の宿はどこも高いので少し遠くまで移動しないと安い宿が見つからなかったんです。で、この日は「ビジネス旅館 清楽」でした。 |
ビジネス旅館 清楽 | |
ビジネス旅館というだけあって、ウィークリーマンションのような部屋でした。実際、遠くから長期間出張できている作業員、という感じのおっちゃんがほとんどでした。部屋は広いのですが、エアコンがうるさいのとテレビが小さい。でも、料金相応かそれ以上かな。 |
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部屋にも小さなユニットバスがついていました。でも、男子用だけだけど大浴場もあります。クマ兄さんはネコ娘を連れて大浴場に行ったのですが、かなり大きなお風呂。宿のおばちゃんが誇らしげに薦めていただけのことはありました。洗い場が6人分くらいと10人くらい入れる湯船があるだけですが、綺麗に清掃してあってとっても気持ちよかったです。
で、この日の夕飯は回転寿司。以前(愛知万博)の時にも多治見に泊まったのですが、回転寿司を探しても見つけられなかったのです。で、今回、リベンジで探したのですが、国道19号線沿いに一軒見つけられただけ。多治見の人は回転寿司に行かないんかい?と思いながら食べたのでした。 |
9/16
この日のメインスポットはかねてから訪れてみたかった明治村。とくに旧帝国ホテル。でも、ネコ娘が楽しめるかどうか?そして、天気は最悪の雨。普段の行いが悪かったようです。 |
明治村 | |
SL | |
明治村の駐車場に車を停めると、一番近い入口は北口でした。この北口は明治村の端になるので、明治村の真ん中の方まで行くにはかなり遠いのですが、SLに乗るとあっという間に移動することができます。ちなみに北口の最寄駅は東京駅。行き先は名古屋駅でした。 |
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この日使われていた蒸気機関車は12号。実は明治村には蒸気機関車が二両あるんだそうです。で、この12号は明治7年に輸入されたという歴史的蒸気機関車。イギリスのシャープ・スチュアート社製の蒸気機関車で、輸入されて最初に走った路線は新橋−横浜間。そう、日本最初の鉄道路線を走った蒸気機関車なんです。そして、日本で鉄道が開通したのは明治5年だから、かなり初期に導入された蒸気機関車なんです。 |
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客車はロングシートの三等客車。エアコンも当然ついておらず蒸し蒸ししていました。でも、こんな雰囲気自体が懐かしい?右は機関車と客車の連結器。引っ張るのはシャックルのみ?後は緩衝器でブレーキの衝撃を弱めます。 |
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とうきゃう駅(東京駅)に到着し、列車から降りると蒸気機関車12号は客車を切り離し転車台で方向転換をしてました。このときの動力は人力。二人で機関車の方向転換をしてました。すげ−! |
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京都市電 | |
とうきゃう駅で列車を降りると、目の前には京都市電の名古屋駅があります。ここで、京都市電に乗って京都七條駅まで行き、2丁目方面へ向かいます。明治村の散策は2丁目から、という計画で。 |
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京都市電の社内は混雑中。蒸気機関車に乗ってきた人のほとんどが京都市電に乗り込んできたためです。
でも、チンチン電車の雰囲気は最高でした。 |
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2丁目 | |
京都七條駅でチンチン電車を降りると目の前はレンガ通り。この通り沿いにいろいろなお店(建物)が配置されています。 |
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まず最初に入ったのが京都中井酒造。写真ではちょっと分り難いですが屋根がカーブを描いているんだそうです。これは京都地方伝統の建築様式「むくり屋根」というんだとか。中に入ると酒作りの道具が展示してありました。右の写真は団扇扇風機(うちわせんぷうき)。こんなもの何に使ったんだろうか? |
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第四高等学校物理化学教室。この建物は明治19年(1886)に「中学校令」が公布されたことで金沢に設置されだ高等中学校。東京大学予備門が第一、第二は仙台、第三は大阪、第五が熊本に設置されました。講義室は階段教室。大学時代にこんな教室で講義を受けたなぁ、と思い出しながら見学しました。 |
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階段教室の机でくつろいでいると教授(ペンギン姉さん)が登場。なんの講義をしてくれるのか・・・。 |
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2丁目の一番奥にある建物は東山梨郡役所。明治18年に建築された建物で重要文化財にも登録されているようです。
内部には医務室があったり、明治村の村長室があったりしました。村長室では村長と並んで写真が撮れます。パネルですが。 |
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1丁目 | |
2丁目を見終わったら1丁目に移動。ここでは最初に三重県尋常師範学校・蔵持小学校を見学しました。二階には明治時代の庶民の生活を紹介する部屋がありました。右はそのコーナーで桶をかついでみよう、というもの。桶の重さは一つ20kg、二つあわせて40kgありました。ま、クマ兄さんは軽く持ち上げちゃったけどね。 |
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左のトイレは・・・小用が染付朝顔型便器、大用が染付大便器という名前がついてました。なんかとっても高価そうな便器でした。右は人力車。人力車にはあまり乗ったことがありません(中国で一回だけ乗ったかな?)が無料なら何回でも乗っちゃいます。ネコ娘を抱っこして展示してある人力車に乗ってみました。一人用の人力車なのかパツパツ状態でしたが。 |
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明治時代?の子供のおもちゃの体験コーナーもありました。左はネコ娘がお手玉を持ち上げて、「どうやって遊ぶんだろう」と悩んでいるところ。右は知事室の前のロビーでくつろいでいるクマ兄さんとネコ娘。 |
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こちらは今回の選挙で知事に就任されたペンギン姉さん知事です。なんちって。 |
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もう一つ大きなへやはホールになってました。明治時代は高貴な人たちがダンスでもしたのかな?クマ兄さんもネコ娘と一緒にダンスを踊ってみました。ネコ娘は手を上げているだけですが、とっても楽しかったようです。こんな広い部屋は保育園にも家にもないからねぇ。 |
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今度は鉄道局新橋工場 。明治22年に建てられた建物です。建物の中には昭憲皇太后御料車(5号御料車)が保管、展示されていました。この御料車は鉄道記念物にもなっている由緒正しき本物です。内装として昭憲皇太后の実家の一条家の家紋の藤をあしらった布が椅子や腰張り使われたりしてました。車外から覗く程度しかできませんが、かなり豪華な内装でした。 |
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「あなたを、明治村は心から歓迎します。」というモニュメントの前で記念撮影。明治村来村記念です。 |
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こっちの建物は三重県尋常師範学校・蔵持小学校で明治21年建築です。尋常師範学校とは当時、各府県に一校ずつ建てられた教員養成学校です。今で言う大学の教育学部みたいなものかな? |
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尋常師範学校という割には小さい机。クマ兄さんでは勉強できません。机と椅子は小学校のものがおいてあるのかな?古いピアノなんかも置いてあって、ネコ娘が弾いていました。曲にはならないけれど・・・。 |
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左の教会は京都から移築された聖ヨハネ教会堂。重要文化財になっています。右は学習院長官舎。明治村のかなり奥の方にあるのでここまでみに来る人はまばら。スゴイ建物なんでしょうがクマ兄さんにはよくわかりませんでした。 |
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こっちは西郷從道邸。西郷従道とは西郷隆盛の弟です。伊藤博文内閣の海軍大臣、内務大臣などを歴任した人で元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・侯爵・元老となかなかすごいことになってます。 |
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こっちの建物は森鴎外・夏目漱石が住んだ家。まあ、どこにでもありそうな家だけど、懐かしい感じがしたかな。森鴎外はこの家で「文づかひ」などを執筆したそうです。そしてその10年後、この家に住むことになった夏目漱石は、この家をモチーフに「吾輩は猫である」を執筆。この家の様子が作品中にも描写されているんだそうです。吾輩は猫である、ちゃんと読んでないなぁ。 |
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3丁目に移るとメイン(と勝手に決めている)北里研究所本館・医学館。北里柴三郎が大正4年に建てた研究所の本館です。右の瓶はパスツールが作った「白鳥の首」とよばれるフラスコ。フラスコの先がクネクネと曲がっていて空気中の細菌がフラスコの中に入らないようになっています。このフラスコを煮沸消毒すると、中の水は腐敗することがありません。このことからパスツールは空気中の細菌が腐敗の原因である、ということを証明したそうです。 |
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3丁目を全部見る時間が無かったので、品川燈台駅から市電に乗って4丁目へ移動。3丁目の方まで見学に行く人が少ないらしく、貸し切り状態でした。 |
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日本赤十字社中央病院病棟。内部は病室になっていましたが、現代の病室とはちょっと違う雰囲気。ベッドも黒い色で外国映画に出てくるような病室でした。明治23年築です。 |
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今後は5丁目、金沢監獄の門です。明治40年築。南北250m、東西190mの敷地はレンガ造の高い塀で囲われ、西側に唯一開けられていたのがこの門だったそうです。 |
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お昼は洋食屋浪漫亭。コロッケランチ?(左下)とハンバーグランチ(右下)を注文。ちょっと値段は高いけど、美味しかったです。ネコ娘がコロッケ気に入って食べてました。ただ、店内の雰囲気が値段にあわず安っぽかったかな。 |
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左は明治村の主役、帝国ホテルライト館。1923年竣工でアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトの設計。しかし、このライトが予算を気にせずに建築を進めたため、完成まで11年の歳月がかかったとか。しかもライトは途中で解雇されてしまいます。しかし、大正12年の関東大震災の時は、周囲の建物が倒壊・火災で焼失したのに帝国ホテルだけはほとんど無傷でいられたとか。ライトのこだわりが倒壊を防いだんでしょうね。右の写真は金沢監獄中央看守所。 |
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これは宮津裁判所法廷。京都から移築。内部には人形を使って法廷の様子が再現されていました。この当時から裁判官はちょっと高いところにいるんだね。裁判官は弁護士・被告と出入り口も違ったそうです。 |
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今度は聖ザビエル天主堂。聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年に建てられたもの。内部もそのままに、この日は地元の人たちが生演奏をしていました。クマ兄さんにも判るほどハズシ気味の人がいたけどね。でも、教会の内部で生演奏なんて、無宗教のクマ兄さんにはなかなか体験できないので、良い経験でした。 |
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4丁目へ戻って、足湯へ。この日の明治村の入村券はコンビニで購入したのですが、その特典として足湯の無料券が付いていました。 |
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足湯にしてはきちんとした造り。奥の湯船は男湯と女湯が繋がっていたそうです(当時)。そして、ネコ娘は入浴を拒否。決して足を湯につけることはありませんでした。気持ちいいのにねぇ。 |
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足湯の横にあったのが明治25年築の呉服座(くれはざ)。歌舞伎、芝居、演説などに使われたそうです。内部は歌舞伎の様子が再現。 |
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4丁目の見学が終わったら再度、帝国ホテルへ。この帝国ホテルライト館を見たかった理由は大谷石が使われているから。
大谷石とはクマ兄さんの故郷、栃木県宇都宮市の大谷で取れる石のこと。日本列島がまだ海底にあった頃、海底火山が噴火して、その火山灰や砂礫が堆積して固まってできたものが大谷石なんだそうです。耐火性に優れ、軽く、加工が容易となかなか優れた石。栃木では蔵や石垣などに良く使われています。 |
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帝国ホテルを見学して、北口から退村。最後はネコ娘が昼寝をしていたのでアイス最中を食べながら帰りました。 |
キリンビアパーク名古屋 | |
最後にビールを飲んで帰りたい!というペンギン姉さんのご要望にこたえて、キリンビアパークへ。二ヶ月前にも来たばかりですが、再度訪問。他のビール工場は予約が必要だったのですがキリンは予約が要らなかったので(最近は予約が必要になったそうです)。 |
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ペンギン姉さんはビールを飲んで、クマ兄さんとネコ娘はジュースを飲んで一休み。ここからまた車で富山まで帰ります。約5時間かかって帰宅しました。 |