白紙

会津


2010.9.19


 世の中、シルバーウィークの人もいるのでしょうか。うちは、ネコ娘の保育園の運動会が18日にあり、三連休で旅行に行けません。それに、三日間も有休使ってシルバーウィークにできるほど優雅な財布を持っていません。ということで、運動会が終わったらちょっと遊びに行ってみようと思います。宿も取らず、お気楽ドライブ。



北陸道
 運動会は午前中で終わり。お昼御飯はちょっと贅沢にお寿司を食べて(回転だけど)、ゆっくり14時半ごろ出発。北陸道を北上です。普段、この道を走るのは夜か、早朝か。暗い時間にしか走らないので、景色を見ながら走るのはちょっと新鮮です。

 右上は北陸道の難所、親不知子不知。北アルプスの北端が日本海の荒波で浸食された場所です。超難所だったらしく北陸道は海の上を走ります。カーブはきついけど、景色は良いんだよね。名前の由来は「断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道」だかららしいです。



 景色を堪能しながら北陸道を北上し、磐越道に移って東へ。19時半ごろ喜多方市に到着です。



大安(喜多方ラーメン)
 喜多方に来た目的はラーメン。先日、ラーメンバーガーを食べに来たのですが、食べられなかったのでリベンジしに喜多方へ。その予行練習を兼ねて喜多方ラーメンを食べてみようと思います。

 最初、喜多方市役所の近くの板内食堂というところが有名と聞いたので、行ってみたのですがすでに店じまい。近くで喜多方ラーメンを食べられるところはないかなぁ?とパンフレットを見て、大安食堂に来てみました。

 お店はビルの二階。一階は駐車場。でも、車が一台も停まっていないので、大丈夫かぁ?という感じ。

 のれんをくぐって、店内に入るとお客さんは1人も居ません。オヤジは厨房のパソコンでソリティアやってました。おばちゃんが元気に「いらっしゃいませ!」って声をかけてきたので、店を出るわけにもいかず・・・じゃ食べてみるか!


 このお店は食券システムでした。
 クマ兄さんはチャーシューメン大盛り、ペンギン姉さんはチャーシューメン普通盛り。スープはちょっとしょっぱいかな?でも麺が太いので、スープの味は濃い方が良いのかもね。スープも麺も普通だったけど、チャーシューが絶品でした。
 200円でチャーシューとネギの刻んだものを乗せたご飯が出てきました。チャーシューが美味しいので、この御飯も美味しい!でも、ネコ娘は生のネギが駄目だったようで、ほとんど食べられませでした。

 ギョーザも普通に美味しかった。

 お店に入ったらお客さんが1人も居なかったので、大丈夫かな?と思いましたが、食べてみたら普通のラーメンで美味しかったです。それに、うちがラーメンを食べているうちに一組、さらに一組とお客さんも入ってきてまぁまぁ安心でした。

 チャーシューメンはおススメかな。



 夕飯を食べ終え、次はお風呂。道の駅「喜多の郷」の横にある温泉施設「ふれあいパーク喜多の郷」へ。ところが、入館は20時までのようで、入館できず。

 じゃ、温泉を探しながら今日の宿になる道の駅「裏磐梯」へ行ってみよう。

 でも、途中の温泉も閉館しているところばかり、結局お風呂に入れませんでした。ま、運動会が終わってから家でシャワーを浴びてきたから良いけど・・・。


 じゃ、おやすみ。



裏磐梯
 6時半起床。昨夜は星空がきれいに出ていたのですが、今日は曇り模様。昨夜は隣の車の人が、一晩中星空を見ていたようで、気になってなかなか眠れませんでした。

 朝、トイレに行った後に道の駅の裏手に回ると桧原湖が見えました。
 ペンギン姉さんとネコ娘が起きたら、ちょっと朝のお散歩、ということで五色沼へ。裏磐梯ビジターセンターに行って、車を駐車場に置き、毘沙門沼へお散歩します。天気がちょっと悪いんだよなぁ。でも、毘沙門沼の向こうに見える磐梯山は、噴火の跡が今でも生々しく残っていました。
 毘沙門沼をチラ見したあと、来た道を戻って喜多方へ。途中、桧原湖が見えたので車を停めてパチリ。1888年に起きた磐梯山の噴火に伴って発生したがけ崩れでできたせき止め湖だそうです。

 大きさは堰停め湖の中では国内最大級だとか。



 さて、10時にラーメンバーガーのお店がオープンするので、そろそろ出発かな(9:05)。



道の駅 喜多の郷
 9:40分ごろ、道の駅「喜多の郷」に到着。ここのレストラン「ふるさと亭」でラーメンバーガーを食べるのが、今回の旅行の最大のミッション。が、すでにお店の前には列ができ始めています。いそいで並べ〜!

 で、10:03頃、開店。列はかなり長くなってました。

 店内でメニューを見ると、ラーメンバーガーが二種類、他にラーメン丼とラーメンピザというメニューがあります。普通の蕎麦とか喜多方ラーメンとかもあるんだけどね。で、当然注文したのは普通のラーメンバーガー(麓山高原豚使用)と会津地鶏ラーメンバーガー、ラーメン丼、ラーメンピザを一つずつ。
 左が普通のラーメンバーガー。パンの代わりにラーメンの麺で具をはさんでいます。チャーシューが絶品。ラーメンのスープが餡になっていて美味しい。右は会津地鶏ラーメンバーガー。会津地鶏が美味しいんだけど、餡が少なかった。普通のラーメンバーガーの方が好きだな。
 これは人によって好みがあると思います。
 左がラーメン丼。ご飯をラーメンのスープで炊いたご飯。具はラーメンの具。炊き込みご飯みたいで美味しい。
 右がラーメンピザ。麺を生地にしてその上にラーメンの具とチーズを乗せて焼いてあります。これも美味しい。でも、ボリュームが・・・かなり大きい。そして、同じ味が続くので、女の人にはきついかな。でも、三人くらいで分けるなら良いかも。

 という感じで、変わり種のラーメンを満喫。10時開店でしたが10時25分には売り切れていました。かなり大人気。食べたい人は10時前に来て並ばないと駄目だね。



 お腹一杯になって、この後喜多方市内をレンタサイクルで巡る予定だったんだけど、天気がイマイチなので会津若松まで南下することにしました。



飯盛山
 会津若松で来てみたかった飯盛山。白虎隊の自刃で有名になった山です。麓はかなり観光地化されているようですね。周辺はお土産屋さんが乱立し、お土産買ったら駐車場無料、みたいなお店がたくさんあります。客引きも結構います。でも、飯盛山入口のすぐ近くに市営の無料駐車場が完備されています。お土産買わない人は市営駐車場に行くのが良いでしょう。

 ちなみに、このお土産屋さんは「買うように迫る商法」とか「俗化した観光地」とか言われてしまう原因になっているようです。
 まずはお土産屋さんを抜けて、白虎隊記念館の前を通り抜け、厳島神社へ。この神社は白虎隊が自刃する前からある古井神社のようです。



 この厳島神社の脇にある戸ノ口堰洞窟が白虎隊とかかわりがあります。

 この洞窟は猪苗代湖の水を会津地方に引くために掘った水路なのですが、白虎隊士中二番隊が戸ノ口原に応援に行き、逆襲にあって逃げてきたとき、この洞窟を通って逃げたんだそうです。その後、お城の安否を確認して・・・燃えている会津若松のお城を見て城は落ちたと勘違いし・・・。
 戸ノ口堰洞窟から2分くらいのところにあるさざえ堂。二重らせん構造をした仏堂です。江戸時代中期〜後期にかけて東北、関東で建てられた特異な建物です。
 内部はかなり急な坂。らせんの通路を登っていくと、三十三観音や百観音などが配置されていて、堂内を歩くだけで巡礼が叶うようになっているそうです。らせんになっているので、すれ違う人とは出合いません。
 登りよりも下りの方が辛かった。滑りやすい床なので、サンダル履きの三人は歩くのが疲れたです。
 ネコ娘が回しているのは供養車。この車を回すとギーギーという音がなり、これが冥土にとどいて白虎隊士を慰める、というものらしい。ネコ娘がぐりぐり回してました。右も白虎隊を祀った神社かお寺なんだけど良くわからなかった。通過・・・。
 さらに飯盛山を登っていくと広場に到着。白虎隊士の墓の前に出たようです。ここで、女の人が刀を使って白虎隊士の様子を演じていました。ラジカセで音楽つき。
 近くのお土産屋さんの人らしい。


 ここに来る人は左の白虎隊士のお墓をお参りしていきます。階段を上って正面にある19の墓はこの飯盛山で自刃した隊士のお墓。

 奥には、他の白虎隊士のお墓も並んでいます。

 ネコ娘もお参りしてきました。お墓なのになぜかお賽銭箱があったけど・・・。
 広場の南側の斜面に行くと、鶴ヶ城がみえる墓地に出れます。鶴ヶ城は改修工事中でちょっと残念だったけど。

 この見晴らしのいい場所が白虎士中二番隊自刃の地です。戸ノ口原の戦闘で敗走し、鶴ヶ城が健在かどうか見るためにここまで逃げてきたそうです。そしたら、城の周りの町が燃えていたため、城が落ちたものと判断し、話し合いの結果自刃したそうです。

 でも、このときはまだ鶴ヶ城は落ちてなかったとか。この後、一ヶ月くらいはもったんだって。

 それから、このとき20人の白虎隊士がいましたが、1人だけ助けられた人がいたんだって。飯沼さんっていうらしい。この人が晩年、このときのことを話していろいろ分かったらしい。
 ということで、飯盛山を見学した後、長い階段(といってもそれほどでもなかった)を降りて、白虎隊記念館へ。ここで、白虎隊の勉強をしてみます。各地で割引券の配布がされていたけど、見せなくても常時割引されていました。二割引だったかな。

 内部は会津藩の白虎隊の教育方法や日新館の解説、ほかに幕末の偉人の遺品などが展示されていました。二階に行くとビデオで白虎隊の悲劇の解説がされています。アニメなので子供でも分かりやすかった。 
 ちょっとだけお土産屋さんを覗いてみた。

 左は「あわまんじゅう」っていうらしい。栗と餅米を混ぜた生地にこしあんを包んで蒸す黄色いまんじゅう。災難に「あわ」ないようにとゲンをかついで食べるらしい。
 おいしそうな天ぷらまんじゅうがあったので買ってみました。まんじゅうに衣をつけて天ぷらに揚げたもの。周りカリカリ、中しっとりで美味しかった。



猪苗代へ
 飯盛山で白虎隊の勉強をしたので、次は猪苗代湖へ行って野口英世を勉強しようと思います。カーナビで検索すると、越後街道の旧道が・・・。せっかくなのでグネグネ道を走ってみました。すると、黄金色の棚田が目に入ってきたので、車を停めてパチリ。山奥にきれいに整備された棚田。斜面でお米を作るために整備された無名の棚田だけど、なんとなく気に入りました。
 野口英世記念館に到着したんだけど、ネコ娘がお昼寝中なのでちょっと車で待機。野口英世記念館の周りは、お土産屋さんとか地ビール屋さんがあってかなりにぎやかな観光地。しばらくすると磐梯山にかかっている雲が晴れてきたので、猪苗代地ビール館の裏側に回って磐梯山をパチリ。もうちょっと天気が良かったらなぁ・・・。



野口英世記念館
 ネコ娘が起きたところで野口英世記念館へ。ここは野口英世が生まれた地?で生家が保存されています。右上の水路は母シカが洗い物などをしていた場所。野口英世が囲炉裏に落ちてやけどした時もここで洗い物をしていたそうです。
 左が野口英世の生家。上に立派な屋根がかけられて保存しています。右は居間。この囲炉裏に落ちたのかな?囲炉裏に落ちたのは1歳の時だそうです。
 左は蚕。居間の脇の方で飼育していました。ほとんど蚕と共同生活ってかんじです。

 真ん中は英世が柱に刻んだ文字。「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」と刻まれています。野口英世少年が19歳で上京する時に刻んだそうです。

 右は懐かしの郵便ポスト。「私は1908年11月7日に生まれていらい毎日、郵便を食べて生きてきました。最近は、ごはんが少なくハラペコで、なかなか立っていられません。わたしに、ごはんを下さった人には、幸運があるようにお祈りいたしています。横倒しになってしまった「ポスト」より」だって。たしか、野口英世のお父さんは郵便配達員じゃなかったかな。
 記念館の二階にある野口英世ロボット。ボタンを押すと動き出して五つの質問に答えてくれます。動きはなかなか良いよ。左手は包帯が巻いてあるんだね。

 たくさんの写真が展示されていたけど、左手は隠しているものが多かったな。
 野口英世記念館の次は、目の前にある猪苗代地ビール館へ。お土産を探したんだけど、試食が無いのでどれを買ってよいか分からず、アイスクリームを食べることにしました。左からヨーグルトみかん、猪苗代地ビールソフト、巨峰。クマ兄さんはヨーグルトみかんを食べたんだけど、なかなか美味しかった。
 地ビール館でお土産を買うのをやめて、となりの三万石に行きました。お土産はもちろん「ままどーる」。なつかしい!学生時代に福島出身の友達が買ってきてくれたなぁ。
 今回の旅はほぼ予定を終了したんだけど、まだ空が明るいので、猪苗代湖を一周してみました。上の写真は猪苗代湖の東側からみた磐梯山。交通量も少ないしドライブするには良い道でした。
 もう少し南に走って、猪苗代湖の南側に位置する湖南港。ここはジェットスキーなんかのレジャーの基地になっているようでした。ここから眺める磐梯山もいい感じ。



 では、ちょっと寄り道しながら帰ろうか。



 国道294号線に出て、赤津宿に行ってみました。でも、現代的な(でも古い)建物ばかりで、昔の宿場町の雰囲気が見られなかったので通過しちゃった。



高田温泉あやめの湯
 会津若松の市内に戻り、お風呂を捜索。お風呂くらいは入りたいからねぇ。で、見つけたのが高田温泉あやめの湯。安くて良いお風呂でした。

 この後、国道401号線で昭和村方面へ。博士峠付近で野生のクマを見ました。でっかいお尻と小さいお尻が二つ、道路の脇をモコモコと動いていました。写真撮りたかったんだけど・・・撮れず。

 さらに国道400号線に乗り換えて、金山町方面へ走ると・・・通行止め。国道252号線に出られません。仕方なく国道400号線を戻り、県道32号線を迂回して三島町へ抜け、会津坂下ICから磐越道に乗って帰路についたのでした。

 金山町を走っていたのが21時ごろ。会津坂下ICに着いたのが、23時くらいだったかな。帰宅は・・・朝4時半くらいになってました。

 今回はかなりきつい日程だった・・・。




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