白紙

斑鳩・明日香


2010.9.25


  最終日は奈良観光。法隆寺とか石舞台古墳とか修学旅行で訪れそうな有名どころを巡ろうと思います。



 昨夜はUSJから一時間くらいで奈良県平群町の道の駅「大和路へぐり」へ移動。疲れていたのでゆっくり眠れました。朝7時過ぎに起床。出発の準備をしてまずは龍田大社へ向かいましょ。



龍田大社
 法隆寺に行く前に少し神様にお参りしておこうと思って龍田大社へ行ってみました。

 風の神として有名な龍田大社。紅葉の名所としても有名らしいです。

 とりあえずお参りして、ブラブラっと散歩していたら、切り株から新しい木が伸びていました(左)。

 目も覚めてきたところで法隆寺へ行ってみるか!



法隆寺
 法隆寺の目の前の町営駐車場に車を停め、プラプラ歩いて法隆寺へ。すぐに法隆寺のシンボル、五重塔が見えてきました。
 ネコ娘は手水舎できちんと手を洗います。お参りするためというより、手を洗いたいって理由なんだけど。すぐ近くには国宝の中門があります。そして金剛力士像。どちらも国内最古のものらしいです。もちろん世界遺産にも登録されています。
 西院伽藍と呼ばれる一角に入ると目の前には国宝の五重塔がデデーンと立っていました。その前には礼排石。仏教寺院における塔は釈尊の遺骨を納める重要なものだそうです。そのなかでもこの法隆寺の五重塔は日本最古のもの。
 左は中門を西院伽藍の内側から眺めた所。人の手が触れる部分とそうでない部分で色が全然違うね。右は、中門の柱のアップ。
 西院伽藍の中央部には金堂。この金堂には聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、聖徳太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、母の穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られた四天王像(白鳳時代)が安置。この四天王像は国内最古のものだって。
 左写真、金堂と五重塔。どちらも国宝です。うーん、すばらしい!右は金堂の柱に刻まれた龍。芸が細かい!

 法隆寺の創建は607年(推古天皇のとき)とされているそうです。ただ、金堂や五重塔はこのときのものではなく、7世紀後半に再建されたものなんだそうです。それでも、世界最古の木造建築物群なんだって。
 西院伽藍をでてすぐ東に会ったのが聖霊院。これも国宝。鎌倉時代に聖徳太子の信仰が高まったので、聖徳太子の尊像を安置するために作られたそうです(左)。聖徳太子のほかに、山背大兄王や殖栗王、卒末呂王、恵慈法師などの像が祀られています。これらの像はみんな国宝なんだって。すごいぜ〜。
 右は妻室(つまむろ)。法隆寺に住む僧が生活していた建物だそうです。そんな建物も国の重要文化財!
 大宝蔵院っていう宝物館も入館できたので入ってみました。国宝や重要文化財がずらり。National Treasureって書いた札があちらこちらに。富山じゃめったに見れない国宝がてんこ盛りです。

 大宝蔵院を出ると左上のように五重塔の上の方が見えてました。青空も出てきて気持ちいい〜。

 そして、気持ちが良すぎてネコ娘は寝てしまった(右)。

 寝てしまったネコ娘を抱えて東院伽藍の夢殿へ。その道の両側は土の壁で囲まれて異世界です。この雰囲気好きだ・・・。
 左は東院鐘楼。梵鐘が内部に吊るされていて、東院鐘楼で法要が行われるときの合図として今でも使われているそうです。梵鐘は奈良時代のものらしい。右は夢殿。中に聖徳太子の等身と伝えられる秘仏、救世観音像が安置されています。飛鳥時代のものだって。
 飛鳥時代っていつよ?って、調べてみると592年から710年までの期間が飛鳥時代ってことだけど、飛鳥時代の前は古墳時代なんだよね!?古墳作ってた次の時代が五重塔とか作ってた時代だっていうんだから、今も昔の技術の進歩って早いんだね。
 で、現代に生まれたネコ娘は飛鳥時代の建物に囲まれて気持ちよく熟睡中。すでに18kgくらいになっているので抱っこして歩きまわるのはさすがにきついです。土壁?をパチリと撮って早々に車に戻りました。



法輪寺
 法隆寺の近くにあるもう一つの世界遺産登録のお寺、法起寺に行こうと思って移動。法輪寺のすぐ横に無料の駐車場があるので、ここに車を停めて、法輪寺と法起寺に行ってみようと思います。

 ネコ娘は車で寝ているので、ペンギン姉さんは付き添いで車待機。クマ兄さん1人で行ってきます。

 入り口で500円払い、中に入ってみると真新しい三重塔。1975年に再建されたものなので世界遺産には登録されていないんだって。

 左は金堂。あまり有名でないお寺ですが、7世紀には存在していたことが発掘調査で明らかにされているそうです。

 このお寺の売りは重要文化財に指定された仏像たち。法隆寺を見た後だとちょっと見劣りするけどね・・・すごいものなんだと思う。
 では、次は法起寺に行ってみよう。田んぼの真ん中の道を歩いて7〜8分です。



法起寺
 法起寺も入場料が500円くらいかかりました。お金がかかるねぇ。

 この法起寺は世界文化遺産に登録されています。創建が7世紀ということで法隆寺とか法輪寺とかも近くにあり、仏教文化の中心にあったお寺です。聖徳太子の遺言で山背大兄王が建てたと言われているそうです。

 この法起寺の目玉はやはり三重塔。国宝にも指定されています。708年に建立されたそうですが、そのご何回も大修理を行って現在に至ります。

 右は講堂。
 左上は聖天堂。本尊歓喜天像というのを安置しているらしいです。右は池越しに見た三重塔。

 法起寺は三重塔しか見どころは無いみたい。

 ということで、10分足らずで法起寺は一回り。三重塔は立派だったけど。



 法輪寺の横の駐車場にペンギン姉さんとネコ娘を放置しているので、そろそろ車に戻るか。


 法起寺を出て、法輪寺の前を通りかかったら、青空と法輪寺の三重塔がきれいだったのでもう一度パチリ(左)。



 以上で、斑鳩の観光は終了。

 それでは明日香に行きましょうか。

 明日香は2001年のGW以来です。このときレンタサイクルでいろいろ見て回ったのが楽しかったので、今回もレンタサイクルで見て回ってみようと思います。ペンギン姉さんは嫌がると思うけど、無理矢理行くぞ!



 と気合を入れて明日香へ。途中、コンビニによってお昼ご飯を食べて、元気充電してから行きます。



橘寺
 明日香に到着し、まずは石舞台古墳へ。ここで自転車を借りようと思います。が、駐車場が空いていなかったのと、レンタサイクルの後ろにネコ娘を乗せる補助椅子が用意できないということで、別のレンタサイクル屋へ。

 同じ系列の別のお店を紹介されたので、石舞台古墳から坂道を降り、野口駐車場で自転車を借りました。じゃ、ここから自転車二台でレッツゴー!
 出発してすぐに着いたのが、河原寺。道沿いに駐輪場も整備されています。その南側にあるのが橘寺。田んぼの中を通る道を歩いて橘寺に向かいます。
 橘寺に着くと、中に入るのにお金がかかることが判明したので、入口までで終了。この橘寺の本尊は聖徳太子・如意輪観音ということで、聖徳太子にゆかりのあるお寺です。発掘調査によると四天王寺式伽藍配置の壮大なものだったということです。
 橘寺の周りの田んぼの畦には彼岸花がたくさん咲いていました。昔ながらの光景ですね。

 彼岸花は遺伝子的には日本中すべて同じって知ってました?稲作とともに中国から日本に持ち込まれ、それが株分けによって日本全国に広まったので遺伝子はすべて同じなんだそうです。ホントか?



伝飛鳥板蓋宮跡
 橘寺から飛鳥寺へ行く途中、伝飛鳥板蓋宮跡というのがありました。

 ここは飛鳥時代に天皇の宮が置かれていた場所ということです。

 説明板を読むと、推古天皇から持統天皇に至る7世紀の約100年間は飛鳥地方に歴代天皇の宮が作られたと言われていて、昭和34年に発掘調査を行った結果、東西156m、南北197mの遺構が見つかったそうです。出土遺物などから7世紀末ごろの宮殿遺跡と推定されているものの、下層にも遺構があり、どの宮であるかは分かっていないそうです。

 なので、飛鳥宮跡ではなく伝飛鳥板蓋宮跡となっているようです。



酒船石遺跡
 さて、伝飛鳥板蓋宮跡の次は飛鳥寺へ行く途中にある酒船石遺跡に寄ってみます。奈良県立万葉文化館の横に酒船石遺跡へ行く道が整備されています。
 遊歩道を登っていくと、途中に酒船石遺跡の石垣があります。平成4年に発見された遺跡で人工的に花崗岩が積まれています。日本書紀に記述されている「宮の東の山に石を累ねて垣とす」「石の山丘を作る」に該当する遺跡ではないかと考えられているそうです。
 酒船石は長さ5.5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩でできていて、石割の工具跡が残っています。石の上に円やだ円のくぼみがあって溝で結んでいることから、酒を搾る槽だとか、油や薬を作るための道具だとか言われているそうです。また、この石の東40mのやや高い所に、ここへ水を引くための土管や石樋が見つかっていることから、庭園の施設という説もあるそうです。



飛鳥寺
 飛鳥に来たら定番スポットである飛鳥寺。9年ぶりの訪問ですな。
 飛鳥寺の目玉は飛鳥大仏。7世紀はじめ、鞍作鳥の作とされる国の重要文化財です。が、見るにはこれまたお金がかかるようなので、今回は中には入らず、周辺散策のみとしました。

 この飛鳥寺の前身は北興寺で6世紀末から7世紀初頭に造営されたそうです。日本最古の本格的仏教寺院とも言われています。
 左は飛鳥寺の西側。その先にちょっとした広場があります(右)。ここは飛鳥寺の西門跡。飛鳥寺は日本で最初のお寺で、その西門があった場所なんだそうです。飛鳥寺の四方に作られた門のうち一番大きいのが西門だったとか。
 西門を出て、少し西に進んだところにあるのが蘇我入鹿の首塚。中大兄皇子と中臣鎌足は飛鳥寺の蹴鞠の会で出会い、大化の改新を起こす仲になったそうです。645年、二人は飛鳥寺に人を構え、西門から甘橿丘の蘇我入鹿の蝦夷の館をにらんだそうです。そして、大化の改新を起こして蘇我入鹿の首をとった時、その首がここまで飛んできた、ということだそうです。



 飛鳥寺を見学した終わったら次は石舞台古墳へ。飛鳥寺から石舞台古墳へは坂道を登ることになります。ひーこら、ひーこら言いながら坂を登っていきました。



石舞台古墳
 明日香に来て、ここが一番人が多いところでした。レンタサイクルで回っている人、観光バス、マイカーととっても人が多い。お土産屋さんも充実しています。
 これが石舞台古墳。周りの土が無くなっており、大きな石が剥き出しになっている石舞台古墳。蘇我馬子のお墓と言われています。

 石は花崗岩で、約30個で形成されており、その重さは2,300トンにもなるそうです。
 内部に入ることもできました。大きな石が積み重ねられ、内部は割と大きな部屋になってました。埋蔵品は盗掘にあって何も残っていなかったんだって。
 周りの土が流されてしまったので、方墳なのか上円下方墳なのか、あるいは下方八角墳なのか・・・いろんな説があるそうです。この石舞台古墳は古墳時代後期に作られたものだそうで、「日本書紀」にも記載があるそうです。
 暑かったので・・・ソフトクリームとかき氷を買って食べました。ネコ娘はかき氷を食べきれなかったので、半分くらいクマ兄さんが食べたんだけど、体が冷え冷え〜〜〜でした。



再び橘寺へ
 レンタサイクルはこんな感じ。石舞台古墳から橘寺の方へは下り坂なので楽ちんです。上り坂でもネコ娘は楽チンだけどね。下り坂は気持ちいい〜。
 橘寺の近くには、聖徳太子が生まれた場所があります。碑も立ってました。

 そこから、橘寺を見るとこんな感じ(左)。



亀石
 カメのような形をした亀石。花崗岩を人の手で彫られたというのは明確ですが、何の目的のものなのかは不明な石です。不思議な石。



高松塚古墳
 亀石をさらに西に行くと飛鳥歴史公園があります。ここには壁画で有名な高松塚古墳があります。

 高松塚古墳は二段式の円墳で、石室の壁には極彩色壁画が描かれていたそうです。この壁画は国宝に指定されたとか。

 作られたのは藤原京の時代である694〜710年くらいだそうです。



 現在の高松塚古墳はきれいに整備され、緑の芝が映える人工物になっていました。
 高松塚古墳まで見て大満足でした。では、車を置いた野口駐車場まで戻りましょうかね。飛鳥歴史公園から野口駐車場まではかなり長い上り坂。車だったら余裕なんだけどなぁ。自転車をこいで登れるような坂ではなかったので、途中から自転車を押して坂を上りました。

 かなり疲れたけど、野口駐車場までは思っていたより遠くなかったので、あれ!?って感じで到着。助かった。



 これにて飛鳥の観光も終了。



 そろそろ帰ってもいいんだけど、道の駅スタンプをゲットするために、ちょっと南下してみました。国道309号線を南下して道の駅「吉野路黒滝」まで行ってみました。ここで、道の駅スタンプをゲットして今回の旅は終了です。



大淀バスセンター
 国道169号線を北上しているとき、渋滞にはまってしまって横を見たら大淀バスセンターというのがありました。バスセンターというよりバス停だけど。Webで調べると裏側がバスの営業所になっているようです。



 このまま国道169号線を北上していきましたが明日香で渋滞が発生したため、ちょっと抜け道を使いつつ国道24号線に行かずに、抜け道的な国道169号線を奈良市まで走行。奈良市内を通過した後に、京奈和道⇒国道24号⇒京滋バイパス⇒名神道⇒北陸道と走って帰宅しました。

 今回の旅行の走行距離は1036km、帰宅は0:20。意外と早かったな。



マイカップヌードル
 翌日、夜ごはんにマイカップヌードルを食べました。賞味期限が1カ月だからね。忘れないうちに食べちゃおう、ってことで。

 スープは市販のものよりちょっと薄めかな?そして、具が大量。クマ兄さんはおかずとしていただきました。ネコ娘には一個は多かったみたい。

 でも、楽しいお土産になりました。ネコ娘が大きくなったらまた行こうと思います。