白紙

二日目 彦根、関ヶ原


2009.10.11


 二日目は滋賀県を見て回る予定です。お宿は多賀SA。休日特別割引(1000円)の影響もあり、早朝からバイクや乗用車でSAは大混雑。でも、眠かったので、途中で何度もおきながら7時まで寝てしまいました。7時におきて、周りを見ると車中泊仲間多数。やはり、高速道路のSAは安心して車中泊できる場所なんだね。

 出発の準備を整え、8時前に出発。多賀SAから彦根市内までは30分くらいなので、今日はかなり早い時間からできます。



彦根城
 ちょうど8時半ごろ彦根城に到着。駐車場の開場が8時30分ということだったのですが、すでに八割方埋まっていました。彦根城と玄宮園のほかに彦根城博物館の入場券もセットのものがありましたが、今回は彦根城と玄宮園だけ見学することにします。
 入り口にはひこにゃんの登場時間、登場場所が掲示されているのでチェックして、どのように回るか考えてから彦根城に登っていきます。
 これは天秤櫓と呼ばれる門。長浜城大手門を移築したといわれていて重要文化財になっています。右の写真で分かるかな?天秤のような形をしているので天秤櫓と呼ばれたそうです。このような形式の建物は、日本中探して彦根城だけ。
 天秤櫓の内部を見学できました。床は新しく張り替えられたもののようですが、天井などは複雑な組み合わせ。ぶっとい梁が入り組んでいます。

 天秤櫓は内部よりも石垣に特徴があって、1603〜1606年の間に建立され、その後、1706、1784、1854、1892年に修理が行われました。1854年のときが一番大規模な修理で、中央部から西側半分が改造され、石垣も積みなおされたそうです。東側半分が牛蒡積み、西半分が落し積みという積み方になっているそうです。
 天秤櫓をくぐって、天守閣方面へ行くにはかなり急な上り坂を登っていきます。ネコ娘の足だと登れない段差の階段もありそう。
 途中、12代藩主、井伊直弼が設置したといわれる時報鐘がありました。今でも6、9、12、15、18時に鳴らされてます。
 太鼓門櫓を過ぎると天守閣が現れます。この太鼓門櫓は日側側の壁がなく、柱の間に高欄をつけて廊下にしているそうです。これは、登城したときの合図の太鼓が響くようにする為ではないか、と専門家は考えているようです。うーん、いろいろ工夫されてたんだねぇ。
 やっと天守閣に到着。このとき8時50分。まだまだ観光客もまばら。とってもきれいな形の天守閣。さすが国宝です。
 本丸の脇には着見台という展望台がありました。琵琶湖がよく見えとてもきれい。当時は二階櫓があって、それが着見台と呼ばれていたそうです。佐和山を越え、城下に入る彦根道を監視できたそうです。



 さて、そろそろ彦根城の天守閣に入城です!



天守閣
 入り口から入ると、現存天守だけあって内部は狭く、入り組んでいます。天井なんか、梁が何本も入り組んでいて、しかもグネグネ曲がっていて、計算して組んでいるのか?と疑うような様子。

 左は狭間。左側の四角いのが矢狭間で、右の三角のが鉄砲狭間。外側から板をはめ、壁を塗って狭間がどこにあるか、いくつあるか分からないように隠していたそうです。
 上は最上階の天井。ここも梁が何本も組み合わされ複雑な形状をしています。グネグネ曲がってるし。こんなんで強度は大丈夫なのかなぁ?

 左は隠し部屋。敵が攻め入ってきたとき、最後の最後に抵抗するのに数人の侍が隠れられたとのこと。でも、ここまで攻め込まれたら完全に負けじゃね?
 昔のお城は攻め込みにくくする為に、階段はかなり急なつくりになっています。みんな登るのにも降りるのにも両手両足を駆使しています。ネコ娘もジャングルジムの要領で上り下りできました。



 現存天守の入城はなかなかの体験。これで、制覇した現存天守は五個目(松本、丸岡、彦根、姫路、高知)。まだあと七天守もあるなぁ。



彦根城のそのほか
 天守閣からでてきて周辺をパチリ。青空と白い天守閣がとてもいい。天気が良いと景色もきれいに見えますな。
 天守閣から西のほうに歩いていくと西の丸三重櫓(重要文化財)がありました。ここも、中に入って見学できます。

 この三重櫓は本丸に隣接する西の丸の西北の場所にあって、「く」の字に建てられています。ここにも狭間があったので、敵の攻撃を守る重要な建物だったのでしょう。

 窓から外を見ると、琵琶湖と彦根市街が一望でき、とても景色がよかった。
 さて、ひこにゃんが現れるまで、まだしばらく時間があるので玄宮園に行ってみました。天守閣から玄宮園に行くにはせっかく登った坂道を降りなければならないのが残念ですが、石垣を眺めながらのお散歩もなかなか楽しかったです。


 玄宮園はお堀の外側にあるので、橋を渡って行くのですが、このときのお堀と石垣もきれいだった。



玄宮園
 玄宮園は4代藩主直興によって1677年に作られたそうで、琵琶湖や中国のしょうしょう八景にちなんで選ばれた近江八景を模して造られたんだって。近江八景とは石山寺や瀬田の唐橋、園城寺など琵琶湖南部の名所八箇所を選んだもので、玄宮園にはこの近江八景が盛り込まれているそうです。

 ってことは、この池は琵琶湖か?瀬田川か?
 池と彦根城がとってもマッチ。天気が良すぎて日焼けしました。池の周りを一周するともう汗だく。でも、ちょっと歩いただけで近江八景を見て回れるんだから結構お得?でも、どれがどれだか分からなかったけど。



ひこにゃん
 そろそろひこにゃんが登場する時間なので、天守閣前の広場に向かいます。また、天守閣に向けて坂を登らねば・・・。
 天守閣の前に到着し、ひこにゃん登場の広場に着くと、すでに人が集まり始めていました。みんなひこにゃん目当てです。
  
 10:30、定時刻にひこにゃん登場。意外とひこにゃん大きい。案内のお姉さん曰く、足元がほとんど見えていないため、ご注意ください、とのこと。ひこにゃんが出てきて何をするのかと思ったら、ひこにゃんがポーズをとってみんなが写真を撮る、というパフォーマンスでした。
 
 ひこにゃん、あっち向いてポーズ、こっち向いてポーズと大忙し。ときどきアイテムを持って再びポーズ。右はUVカットのクリームをもってポーズしているところ。SPF500+でした。このクリームで白いお肌を保っているのかな?
 「ひこにゃーん!」って声をかけるとこっちを向いてポーズをとってくれました。これを30分間続けます。案内のお姉さんが気を利かせて、5分おきくらいに前の人と後ろの人の入れ替えをするので、みんなが最前列でひこにゃんを見ることができました。案内もすばらしい!ひこにゃんとお姉さんの絡みも絶妙です。
 ひこにゃんのパフォーマンスが終わった11時ごろ、天守閣に入城するには60分待ちの列に並ばないといけなくなっていました。朝一で入ってよかったー!最近、戦国ブームでお城も人気が出てるみたいですね。

 「ひこにゃんと天守閣の両方を見ようとは思わないでください!」って整理係のおじさんが叫んでたのが笑えました。



たねや
 彦根に来たらお土産は「たねや」でふくみ天平と決めていたので、彦根城を見学した後に「彦根美濠の舎」というお店に行ってきました。最中(ふくみ天平)の他に、バームクーヘンも買っちゃった。



 この後、コンビニでお弁当を買ってお昼にし、関ヶ原に向かいました。午後は関ヶ原の古戦場を見ようと思います。



鉄道総合研究所
 国道8号線を関ヶ原に向かっては知っているときのこと。米原駅周辺で「新幹線高速試験車両一般公開」っていう看板を発見。そういえば、米原駅のホームからいつも高速試験車両が駅の横においてあるのを見てたっけ。すぐにその高速試験車両が一般公開されてるってピンと来ました。ネコ娘とペンギン姉さんは車内でお昼寝しているので、クマ兄さん一人で見学に行ってみました。
 左は新幹線955形電車。この先頭車の形状はカスプ型と言うそうです。1996年、米原−京都間で443km/hの日本国内最速記録(リニアモーターカーを除く)を出しているそうです。JR東海が300系を越える新幹線関連の技術を実験する為に開発した試験車両です。

 右は新幹線952形電車。STAR21の愛称で有名ですね。1993年、越後湯沢−新潟間で425km/hを達成しています。JR東日本が騒音、微気圧波、地盤振動などの環境対策を進めるために作った試験車両です。
 これは新幹線500系電車900番台。1992年、小郡−新下関間で350.4km/hを達成しています。JR西日本が最高速度350km/hでの営業運転に必要なデータを収集する為に作られた高速試験車両です。新幹線500系電車の原型となった車両だそうです。

 一般公開ということで、各車両に乗り込むこともできたようですが、右写真のように長蛇の列。さすがに、これに並んでまで車内に入る気にはなれなかったので、周りだけ写真にとって帰ってきました。でも、ネコ娘とペンギン姉さんはまだ寝てた。



東海道新幹線
 関ヶ原に向かう途中、東海道新幹線の下をくぐる場所がありました。ちょっと車を止めて、見ていると新幹線がドカーンと走っていきました。まさに弾丸列車。左は300系で右がN700系。初代のぞみの300系も今ではひかりやこだまに使われるようになり、世代交代を感じさせてくれます。300系のぞみが登場したときは衝撃的だったんだけどなぁ。



笹尾山
 関ヶ原古戦場めぐりの第一弾は笹尾山。ここは関ヶ原の戦いで西軍の総大将、石田光成が陣を張った山。戦国ブームにのって結構整備されています。このとき、ペンギン姉さんとネコ娘は夢の中なので、クマ兄さん一人で散歩してみました。

 右は笹尾山の麓にある島左近の陣の跡。石田光成が家禄の半分を与えて仕官させたという側近中の側近。家康本陣に迫る勢いでしたが、銃弾を受けて討ち死にしてしまったそうです。
 笹尾山はハイキングコースが整備されていて5分ほどの登山で頂上まで行くことができました。右は矢来と呼ばれる臨時の囲いで、竹や丸太を組んで作ったそうです。これは、敵が簡単に攻め入ってくることができないように防御したもので、光成は正面にこの矢来を二重に設置して部下を配置し、自分は山頂に陣取ったそうです。
 五分ほど山道を登ると笹尾山の頂上に到着。頂上には展望台があり、そこには自動音声の解説付き案内板が設置されていました。家族連れや歴史好きそうなおじさん達に混ざって暦女も結構いました。

 左の写真は関ヶ原の古戦場。しっかり、暦女が二人写ってしまっていますね。



関ヶ原古戦場決戦地
 笹尾山から東に約300m、田んぼの真ん中に関ヶ原の戦いの激戦地の碑があります。

 関ヶ原の戦いは西軍、石田光成側が有利な陣形で始まった戦いでした。ところが、小早川や脇坂ら四隊が裏切ったことで、戦況が逆転。西軍を裏切った小早川が、西軍の大谷隊へ突入すると西軍の敗色濃厚に。西軍は兵士が浮き足立ちましたが、石田光成の隊はここで集中攻撃を受けながらも最後まで頑強に戦い続けたそうです。この、笹尾山から降りてきた場所が、関ヶ原の戦いで最大の激戦地だったそうです。
 左は激戦地碑から笹尾山を眺めたところ。今では田んぼになっていますが、当時は草原だったのかな?歴史ブームのせいか、田んぼの真ん中を観光バスが走っていました。
 右は桃配山方向を見たところ。ゆるい下り坂で、西軍のほうが有利そうだけどなぁ。



東首塚
 関ヶ原駅の北側にある東首塚。関ヶ原の戦いが終わった跡、徳川家康によって首実検された将士の首がここに眠っています。
 首実検とは、自分の配下にある武士が戦場で討ち取った、敵の武将の首を検分し論功行賞を判定する作業。ようは、敵の武将の首を確認して、誰の武功か決めること。
 左の井戸は、首洗いの古井戸と呼ばれているもの。関ヶ原の戦いで討ち取られた西軍の武将の首は、ここで首実検され、その後、塚を作って葬られました。この首実検の前に首装束のために、この井戸の水を使って、首についた血や土を洗い流したそうです。戦国時代の戦場では、首実検後、敵味方の戦死者を弔い、供養塚を築くのが慣わしだったそうです。写真に変なもの写ってないだろうな・・・。



徳川家康最後の陣跡
 東首塚の近くにある歴史民族資料館。入館にはお金がかかるので、資料館前で写真だけ撮って撤収してきました。
 歴史民俗資料館の前には公園があり、そこは徳川家康が最後に陣を敷いた場所だそうです。戦が進むと、徳川家康は桃配山から笹尾山の東南1kmのこの場所に陣地を移動させました。ここで徳川家康は戦の陣頭指揮を執り、戦が終わると首実検をしたそうです。右の写真の土塁や中央の高台は1841年に、幕府の命令でこの地の領主の竹中家が造ったそうです。



関ヶ原ウォーランド
 関ヶ原古戦場めぐりの〆は関ヶ原ウォーランド。事前情報ではあまり評判が良くありませんが、お土産屋さんも併設していることから怖いもの見たさで行ってみました。
 資料館の奥には壁一面に自動解説付きの関ヶ原古戦場のパネルがありました。でも、故障しているようで動く気配なし。ほかに、武将の紹介パネルなどがありましたがネットでも調べられるような内容ばかり。うーん、資料館はイマイチ。
 ここの目玉はコンクリート像。実際に乗って写真を取れる馬像もコンクリート。暦女が写真撮ってましたが、ネコ娘が横取りしました。
 さて、ウォーランドの目玉、関ヶ原の戦場を見て回ります。左は可児才蔵。関ヶ原の戦いの時には福島正則に仕え、敵兵の首を17も取り、家康から絶賛されたそうです。
 左は鉄砲隊。この当時は火縄銃。火縄銃の威力は実はとても凄かったそうです。
 詳しく書くと、黒色火薬を使用してライフリングのない滑空銃身で鉛製の丸玉を撃つ、というのは現代の散弾銃でスラッグ弾を撃つのと変わりないそうです。ということは、命中性能、弾丸の直進安定性が悪いだけで破壊力は抜群。一般的な足軽が装備していた具足では簡単に打ち抜かれ、しかも具足の鋼板に当たることで、鉛玉が分裂し、人間の胴体内でバラバラに飛散し、背中側を抜けていってしまう、かなり強力な武器だったそうです。

 右は笹尾山の石田光成の陣。勝てると思うほど有利な陣を敷いたが、裏切りにより惨敗。裏切られて負けるなんて悔しかったろうな。
 ここは首実検をしている徳川家康の陣。首実検される首が運ばれてきます(右)。首は青くて、コンクリート像でも気持ち悪い。ネコ娘も、ただならぬ雰囲気を感じたのか、見て見ぬ振りをしてました。
 左は松尾山の小早川秀秋の陣。この小早川秀秋が東軍に寝返ったことで関ヶ原の戦いが東軍の勝利になった、といわれています。
 でも、なかなか動き出さず、徳川家康は苛立って、小早川の陣を銃撃し、それによって西軍を裏切って動き出した、という逸話も残っています。
 こんな感じで、なかなかの広さの屋外展示場にコンクリート像で関ヶ原の戦いを再現しています。天気が良ければなかなか見ごたえある展示でした。でも、塗装がはげていたり、武器が壊れていたり・・・もう少し手入れをしたほうが良いのに、とも思っちゃいました。
 最後に、ウォーランドの横にあるお土産屋さんに行ってみました。すると、なにやら怪しげな着ぐるみが・・・。ネコ娘は大喜びで抱きついてました。でも、クマ兄さん的には???という感じ。昼前に見たひこにゃんと何か違います。かなり動きが緩慢。ネコ娘が抱きついていったらよろけていたし。着ぐるみの中身はおじいちゃんと見た!



 これにて関ヶ原古戦場めぐりは終了。でも、まだ時間が少しあったので、近くにある百名瀑、養老の滝に行ってみることにしました。



養老の滝
 最近の愛読書、ツーリングマップルを見ながら養老の滝を目指すと、その一帯は養老公園として整備されていました。

 この日は「ふるさと養老秋まつり」というのが開催されていたようで駐車場が無料開放。駐車場のできるだけ上流のほうに車を止めて、養老の滝へ歩いていくことにしました。

 でも、地図を見ると養老の滝まではかなりの距離があります。軽いハイキングコースって感じ。ペンギン姉さんとネコ娘はちゃんと歩けるだろうか?
 ちゃんと辿り着けるが心配だった養老の滝ですが、15分ほどで到着。百名瀑の養老の滝です。この滝は親孝行の昔話「孝子伝説」というのがあるそうです。
 養老の滝から駐車場までは約700m。登って下ってきたら、のどが渇いたのでたくさんあるお土産屋さんで飲み物を買ってみることにしました。冷蔵庫を覗くと、「養老山麓サイダー」と「ラムネ」が売っていました。サイダーもラムネも同じ会社で作っているものだそうですが、サイダーはこの養老が発祥の地とのこと。せっかくなので飲み比べてみました。

 ラムネは普通の味。養老山麓サイダーはラムネに比べると炭酸が弱めで、後味にちょっとバナナ風味。バナナが使われているわけではないようですが。味の深みは2時間煮込んで作るシロップのせいだとか。

 甘いラムネとサイダーを飲んで元気復活!さて、そろそろ帰宅するとしましょうか。



養老山地
 養老公園を出発し、大垣ICをめざして田んぼの中を走っていたら養老山地がきれいだったのでパチリ。秋の空になってきたなぁ。

 このあと、養老ICから名神道にのり、米原JCで北陸道にのって帰宅しました。途中、賤ヶ岳SAによってレストランで夕食を取ったのですが、なぜか一番早く来てほしいネコ娘の食事が出てこず、ちょっとムカついてしまいました。意見箱にこのことを書いたら、後日、お詫びの手紙と賤ヶ岳リフトの割引券が送られてきました。

 でも、なかなか楽しい旅行でした。



お土産
 生八つ橋、イチゴ入り。イチゴの風味がしっかりあって美味しかった。
 たねやのバームクーヘン。これもかなり美味しかった。