三日目 指宿、知覧

2004.8.15



 昨日は天草からフェリーで鹿児島入り。この段階でクマ兄さんは全県制覇を達成しました。その後、夕飯を食べ、お風呂に入りながら国道3号線を南下し、鹿児島市入り。ちょうどこの時間、アテネオリンピックで谷亮子が決勝戦を戦っていました。オリンピック観戦をしながら(試合のときは路上駐車して)さらに南下し、道の駅「喜入」で車中泊。ここも車中泊仲間がたくさんいたので心強かった。車中泊で体がすっきりしてないこともあり、朝から指宿温泉へ行きました。



砂むし会館砂楽
 砂むし会館砂楽では指宿温泉名物の砂風呂(砂むし)に入れます。クマ兄さんとペンギン姉さんは二度目です。前は別府温泉だったかな。訪れたときは満ち潮だったため屋根の下で波の音を聞きながらの砂むしでした。引潮で天気の良いときは水際でやれるらしい。どっちにしてもおばちゃんに砂をかけてもらうと後は寝てるだけの温泉です。10から15分も寝ていると顔は真っ赤になって汗だく。やせ我慢は危険な温泉です。
 砂むしですっきりした後、砂浜に下りてみると砂から湯気が上がっていました。サンダルで水際に行ってみると熱い!近くに看板があり(右)、「干潮になると波打ち際から85℃の温泉が湧き出ます」と書いてありました。



橋牟礼川遺跡&時遊館CoCCoはしむれ
 橋牟礼川遺跡は縄文時代と弥生時代の新旧関係の年代差を初めて立証した遺跡です。遺跡が開聞岳の火山灰で覆われていたため「日本のポンペイ」と呼ばれることもあるそうです。時遊館CoCCoはしむれとは橋牟礼川遺跡からの出土品を展示している資料館です。左写真はこの時遊館CoCCo橋牟礼内に復元された竪穴式住居です。左下写真は古代人とクマ兄さんのツーショット。下の写真は古代食を囲むクマ兄さんとその仲間たち。
 ←時遊館CoCCoはしむれの横に竪穴式住居を復元した歴史公園が整備されています。この歴史公園には本物の貝塚のあとも展示してあります。でも、見に行くのに勇気がいる場所だったけど。



長崎鼻&開聞岳
 指宿から車で約20分ほどで長崎鼻に着きます。ここから眺める開聞岳は最高!という話を聞いていたので今回必ず訪れようと決めていた場所。海から突き出た薩摩富士(開聞岳の別称)はとてもきれいでした。左写真はこの長崎鼻にある竜宮神社。古事記や日本書紀に出てくる豊玉姫を祀ってあるそうです。長崎鼻には古くから浦島太郎伝説があり発祥の地と言われているんだって。
 ところで、この長崎鼻には駐車場がありません。その代わりと言ってはなんですが、長崎鼻パーキングガーデンの駐車場が無料開放されています。ところが、この長崎鼻周辺のお土産屋は駐車場はないよ!というジェスチャーをして自分のお店の駐車場に誘導します。そしてお決まりのお土産買ったら駐車場は無料、というシステムを押し付けます。前評判で知っていましたので引っかかりませんでしたが、かなり強引な客引きでした。観光地に行くと多かれ少なかれ必ずあるシステムですが、こういうのってたびの思い出としてはあんまりよくないんだよねぇ。旅行者が気を付けるしかないのかなぁ。




唐船峡そうめん流し
 長崎鼻から池田湖を経由して知覧へ向かっているときのこと。ちょうどお昼で何か美味しいものが食べられるところはないかなぁ、周りをきょろきょろ見回しながら運転をしていました。すると唐船峡というなんとも心引かれる看板がありました。ちょっとだけ写真を撮りにいこう!と思って公園のほうへ向かいました。すると田舎道から小道へ入ったとたんに大渋滞。そして、「町営そうめん流し」という看板が踊るストリートに出ました。面白そうな雰囲気に惹かれこの日のお昼はそうめん流しに決定!
 そうめん流し会場に着くとそこは人、人、人!ものすごい人の数です。山の中のド田舎になんでこんなに人がいるの!?と驚きました。そして、さらに驚いたのがここのシステム。簡単に説明すると以下のとおりです。@食券を買うAテーブルを確保する(自分で)B食券を調理場に提出C運ばれてきたそうめんを食べるC次の人にテーブルを明渡す、となります。簡単に書いたこのシステムに恐るべきわなが仕掛けられていました。それはAのテーブル確保にあります。普通、店員さんがテーブルを案内してくれますよね?でも、ここでは自分で探します。しかも早い者勝ち。順番待ちはありません。通常であれば前の人が席を立ったらすぐにそのテーブルにつけば確保できます。しかし、あまりに混んでいたこの日はそれでは間に合いません。食べている人がいるテーブルの周りを仲間で囲ったり、食べている人に「食べ終わったら次ぎ良いですか?」などと聞いて予約したりしてテーブルを取っちゃいます。ずうずうしい人ほど簡単にテーブルを確保できるこのシステムにはさらに恐ろしいわなが仕掛けられています。それは、食べているときのこと。やっと、そうめんが運ばれてきて、さぁ!食べるぞ!!という時に一人のおばぁちゃんがやってきて「つぎの人は決まっているかな?」というのでいないと言うと、じゃあ待たせてもらうと言うではないですか。えっ!?と思っていると息子夫婦、孫たちが集まってきてクマ兄さんとペンギン姉さんのすぐ横で待っているではありませんか!食べているところを監視されながら「ゆっくり食べてね」とか「いそがせて悪いね」と言われるたびにプレッシャーを感じてしまいます。結局、食べ終わったら、ゆっくりする間もなくすぐにテーブルを明渡してしまいました。店員さんの案内が無くても回転が早くなるシステムにすっかりはめられたクマ兄さんでした。でも、美味しかったよ。
 後から知ったのですが唐船峡公園は、その昔深い入り江だった時代に唐の船が出入りしていたことから唐船峡とよばれるようになったとか。そして昭和37年川上の湧水を利用し竹樋でつくったそうめんながしが全国的に有名になったそうです。



池田湖
 そうめんを食べた後は池田湖の横を通って知覧へ移動。池田湖ではイッシーがいないかカメラを持って探しましたがやっぱり見つかりませんでした。池田湖は大ウナギも有名なんだね。



知覧特攻平和記念館
 太平洋戦争末期、沖縄決戦に飛行機もろとも体当たり攻撃を行った陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録などを展示した資料館です。特攻隊員がどんな気持ちで飛び立っていったのか、そして戦時教育の恐ろしさを痛感する内容でした。夏休みということもあってホールで30分くらいの説明会も開かれていました。戦争の無い平和な世界を!と願わずにはいられません。



給水塔
 昭和16年、飛行学校の施設の一つとして建てられたもので、当事の原型をとどめている唯一の施設なんだそうです。斜めに傾いているところがなんともいえません。



武家屋敷
 江戸時代の薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を終結させること無く分散して統治にあたらせたそうです。この知覧もその外城の一つなんだそうです。石垣と生垣からなる美しい景観が見事な武家屋敷群でした。
 この武家屋敷群は本馬場通りとよばれる道沿いにあるのですが、この道に入ろうとするとどこからともなくおばちゃんがやってきて武家屋敷の入園料500円(大人)を徴収されます。庭園に入らない人も(左写真の道を通るだけの人)もお金が必要なのかな?半強制的に徴収されたので武家屋敷の庭園(右上)にも行ってしまいました。




 知覧を満喫した後は一路鹿児島市内へ。でも、すぐにホテルに行ってしまうのはもったいないので夕方6時頃からでも見ることができる観光地を探しました。すると、石橋記念公園が良さそう。鹿児島市内を突っ切って行ってみました。



石橋記念公園
 この石橋記念公園には鹿児島市街にかつて架かっていたアーチ橋を移設されています。左上写真は西田橋。この他に玉江橋、高麗橋があります。また、この公園内には薩英戦争時の砲台跡(右上)やザビエル上陸記念碑などもありました。



西郷隆盛像
 鹿児島市のど真中、朝日通と国道10号線の交差点にありました。付近は駐停車禁止になっているのでちょっと遠くに車を置いて写真を撮りに行かなくてはいけません。でも、クマ兄さんは赤信号のときに車の中から撮っちゃいました。



 観光を終え、一旦ホテルにチェックイン。車と荷物を部屋におき、薩摩料理を食べに行くことにしました。ホテルのフロントにサービス券が置いてあったお店がるるぶに載っていたので行って見る事に。熊襲亭というお店でした。



薩摩料理
 熊襲亭という、郷土料理店に行きました。こういうお店に予約無しで行ってしまうクマ兄さんとペンギン姉さんは結構つわもの?左写真はカツオのタタキと地鶏のタタキ。地鶏のたたきのほうが美味しかったです。
 キビナゴの刺身とさつま揚げ(左)。キビナゴの刺身は酢味噌で、さつま揚げはワサビ醤油で頂きます。右はとんこつ。骨付きのアバラ肉を3時間煮込み、黒糖、焼酎、味噌、しょうがで仕上げたもの。沖縄のソーキよりも味付けが濃く、味噌煮の感が強い。でも、柔らかく煮てあり美味しい!
 左が最後の締めに出てきた酒ずし。九種類の食材と米一升、酒一升押し寿司にしてあります。お酢を使わないお寿司は珍しいですね。焼酎でかなり酔っ払っていたせいか、かなりバクバク食べてしまいました。お酒の味はけっこうしましたが美味しかったです。薩摩汁も美味かった。



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