二日目 西安

2004.12.30.



  この日は西安郊外へ出て超有名スポットの観光。いろいろ回って夜にはショーを見るというハードスケジュールです。



ANAグランド・キャッスル
 全日空ホテルズが運営している★★★★★ホテル。西安の南門のすぐ南側にあるホテルで部屋から南門や城壁が良く見えます。ロビーは右写真のように吹き抜けになっていてとても立派。でも、冬は寒いです。部屋はとてもにきれいでした。NHKも見れます。気になるのは日本から西安までの直行便がANAには無いこと。JALはあるらしいんだけどね。



西安市内
 中国は右側通行。信号は赤でも右折はいつでもOK。中国の交通マナーはクマ兄さんが訪れた国では過去最低です。横断歩道もかなり注意しないと渡れません。車と歩行者はどちらが優先なのか?と尋ねたら先に前に出た方、とか気合の入っている方、という答えが。弱者保護という考え方はありません。
 話は変わりますが写真は朝。気温はほぼ0℃。かなり寒いのですが、かなり内陸なので降水量が少ない。なので、雪もほとんど降りません。だから、車はスノータイヤやスタッドレスタイヤを履きません。バイクも普通に走ってます。でも、窓の内側は右写真のように凍ってしまいました。寒すぎです。



華清池
 約3000年前から温泉が沸いている華清池。玄宗皇帝が楊貴妃と冬になると訪れたリゾート地。左上写真の白い像は楊貴妃です。昔の美女はポッチャリ系。左写真は玄宗皇帝が楊貴妃のために作った海棠湯。海棠花に似ていることから名前がついたとか。玄宗皇帝と楊貴妃は冬になるとここでリフレッシュ。なんて贅沢なんでしょうねぇ。
 この華清池は西安事変で蒋介石が張学良につかまった場所ということでも知られています。



秦始皇帝陵
 世界遺産「秦始皇帝陵」。始皇帝は皇帝在任期間とほぼ同じ37年間をかけてこのお墓を作ったんだそうです。周りには山のない大平原に左上写真のような山(陵)を作っちゃったそうです。秦は中国の西のほうで興った国で東の国々を征服していきました。なので、敵は東から襲ってくると考え、この後訪れる兵馬傭坑は始皇帝陵の東側に設けられました。これは死後も兵馬庸によって守ってもらうためだそうです。また、この時代は始皇帝が死ぬとお后や家臣など1000人もの人々が一緒に生き埋めになったんだとか。右上は始皇帝陵の頂上からの眺め。左は始皇帝の像。



 始皇帝陵から車で5分くらい移動すると兵馬傭坑に到着です。



兵馬傭坑
 20世紀最大の発見とも言われる世界遺産「兵馬傭坑」。この兵馬傭坑から出土したものを展示しているのが秦始皇兵馬傭博物館です。右写真は騎馬の戦車。馬車に乗っている兵士には矢のような武器も付いています。
 上の4枚の写真は1号坑。1974年、近所の農民が井戸を掘っているときに一片の陶片を発見。このことがきっかけで兵馬傭坑が発見されました。左のおじいさんはその農民の一人。いつも博物館のお土産屋さんにきて、写真集に筆でサインをするという超重要な役職に就いています。この1号坑には約6000体の兵馬傭が埋葬されているといわれています。現在までに約2000体が修復されており、それらは一体一体が異なる顔をしています。埋葬当時は11種類の顔料で鮮やかな色をしていたそうで、現在でも掘り起こしてすぐは色がついているそうです。ですが、光に当たると退色してしまうようで、展示されているものには色はほとんど残っていませんでした。
 左は身分の高い将軍級、右は一番身分の低い兵士。2号坑には復元された兵馬傭がガラスケースに収められ間近で見ることができます。これらは民族の区分、髪型、鎧の構造、靴の形等がはっきりと区別できるほど精巧に作られています。ちなみに、身分の高い低いは足のつま先が上がっているほど身分が高い、と見分けられるそうです。



 兵馬傭坑を見学した後、車に戻る途中、かなり怖い(?)目に会いました。それは、
お土産買って!攻撃。博物館の敷地をでる門のところに人だかり。何かな?と思い
ながらも敷地から出ると、売り物のお土産を持った人達に囲まれます。人数は10〜
15人くらい。リポーターに囲まれている芸能人みたいでした。「ゴジュウゲーン、ゴジュ
ウゲ〜ン!」とかなんとか言いながらわれわれの行く手をさえぎります。それを強引
に振り切って車に戻るのはかなり大変でした。彼らは地元の農民だとか。自作のお
土産品を買ってもらって生活の足しにするんだそうです。でも、かなりの粗悪品で大
抵はかばんの中で壊れてしまうそうです。
 そんなことが会った後に、西安に移動。途中でお昼となりました。ここでも円卓を囲
んだ中華料理。中国にきて2日目で中華料理フルコース2回目です。



碑林博物館
 宋の時代に建立された孔子廟に石碑を集めた博物館。石碑とは右写真のようなもの。いつの時代の皇帝か忘れましたが、経典や公文書などが間違って広がることを防ぐために石碑に刻み込み、これを拓本することで間違った文章にならないようにしたんだそうです。
 左写真に写っているのが石碑の文字。これはなんという書体なんですかね?時代とともに象形文字から現在の文字に変わっていく様子もわかります。右の写真は拓本をしているところ。石碑に霧吹きをし、白い紙を貼り付け、上から墨をつけたスポンジみたいなもので軽くポンポンとたたきます。すると出来上がり。世界でもっとも古い印刷技術といわれているそうです。



大雁塔
 唐の三代皇帝高宗が母である文徳皇后のために立てた大慈恩寺。この大慈恩寺の境内にそびえたつのが大雁塔です。高さ64m、七層構造で最上階まで上るには248段の螺旋階段を上ることになります。その昔、玄奘法師(三蔵法師)がインドから持ち帰ったサンスクリット語の経典の翻訳と保存のために建てられたものだそうです。この日はとても天気がよく、最上階に登ると西安の町並みが遠くまで眺めることができました。しかし、西安の西には黄土高原、ゴビ砂漠など黄砂の元となる地域があり、そこから飛んでくる砂のために遠くは黄色にかすんでいました。そういわれると町並みもなんとなく砂っぽくて黄色いかな。それでも人口680万人の大都市はとても大きかった。



足裏マッサージ
 大雁塔を見学後、ナイトショーを見るまでに時間が余ったので、ガイドさんオススメの足裏マッサージに行きました。マッサージは1時間くらいで60元くらいだったと思います。ガイドさん曰く、足裏マッサージは西安が元祖で、物価も安いからマッサージも北京とかより安いんだとか。マッサージは最初に薬草を入れた湯桶に足を入れてほぐし、それから結構強めにグイグイっともんでくれます。料金の割には内容も十分で、個室っぽく部屋も囲まれており大満足でした。



唐華賓館
 夕食は唐華賓館というシアターレストランで餃子づくし。餃子がじゃんじゃん出てくるのかと思ったら、一口で食べられる大きさの餃子が15分に一皿出てくるペース。まだかなぁ、まだかなぁ、と餃子をちょぼちょぼと食べていたら歌舞が始まってしまいました。餃子は蒸し餃子が中心。味は・・・、普通でした。
 古楽器を使った音楽や、上の写真のような踊りなど一時間程度のショーが見れました。このショーの間にも15分に一皿程度の餃子が出てきました。左は玄宗皇帝と楊貴妃。玄宗皇帝と楊貴妃がラブラブだった時代を見せてくれます。



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