四日目 故宮博物院と万里の長城

2005.1.2



  この日は北京市内観光一日目。昨日まではクマ兄さんとペンギン姉さんの他に大阪から来た女の子二人組みの計四人で回ってきましたが、この日は他に6人を加えた10人で観光でした。



正陽門
 天安門広場の南端にある正陽門(右上)。その正陽門の北側にあるのが毛主席紀念堂。祈念堂の中には毛沢東の遺体が永久保存の処理を施されて安置されているそうです。この日は日曜日だったので休館日でした。その祈念堂の前には左上写真の碑がありました。なんという名の碑なのかな?
 左写真は天安門広場の東側を通る道。電柱がなく、非常に新しい町に見えますがそのすぐ脇には正陽門があるなど、新しいものと古いものが入り混じった場所でした。



天安門広場
 100万人が集まれるといわれる天安門広場。さすがに広いです。でも、中国人のガイドさん曰く、50万人が集まれる広場だとか。なぜ倍に?公安もたくさん出ていて治安は良さそうでした。この場所で1984年に天安門事件が起こったんですね。周りには高い建物もなく(景観を守るため)、天安門が小さく見えます。近づくとかなり大きいんだけどね。
 左は武装警官。中国には(北京には?)武器を所持している警官と所持していない警官がいるそうです。左写真のちょっとかっこいい系の警官は拳銃を携帯しているそうです。



天安門
 高さ33mの城門。1417年の明代に建てられたが、清代に焼失。1651年に再建されたそうです。このあたりから周囲は朱に染まっていきました。天安門の真中には毛沢東の肖像がでかでかと飾られています。



午門
 天安門をくぐり、もう一つ門をくぐると午門に来ます。ここから先が有料エリア。この午門は高さ37.95mの城台主楼もあり、壁の厚さは36mもあるそうです。世界最大級の城門です。右写真に写っている門の前の広場はかつて刑場として使われており、鞭打ちの刑が行われていたとか。



故宮博物院
 15年の歳月をかけて作られた紫禁城。いまは故宮博物院として公開されています。故宮博物院と言っても世界三台博物館と言われているのは台湾にある故宮博物院。この故宮博物院は1924年に紫禁城宮殿から溥儀を退去させ、清朝が宮殿内に収蔵していた美術品を一般公開したのが始まりだそうです。しかし、後に満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蒋介石指導の国民政府が博物印の所蔵品を日本軍から守るために南京へ、さらに四川省に移動させたそうです。第二次大戦後、所蔵品は南京、北京に一度戻されたそうですが、国共内戦が激化し、形勢が不利になった中華民国政府が台北へ運んでいってしまったそうです。このとき貴重なものだけを精選して持っていってしまったため、台湾の故宮博物院が世界三大博物館になっているんだとか。左写真は午門をくぐってすぐにみえる太和門。右写真は太和門を守る獅子像。
 左写真が太和殿。1420年に建築された宮殿建築。中国最大の木造建築なんだそうです。でも世界一じゃないのは奈良の東大寺の大仏殿ほうが大きいから。右写真は映画「ラストエンペラー」でもでてきた階段。真中には龍が掘ってあります。ラストエンペラーはこの紫禁城を実際に使って撮影をした唯一の映画なんだそうです。
 紫禁城のあちこちに動物のレリーフがあります。この動物達には一つ一つに意味があるそうで長寿や権力などを表しているそうです。右写真は太和殿の北側にある中和殿。
 左写真は保和殿付近。たしか映画「ラストエンペラー」で溥儀がこのあたりを自転車で走っていなかったっけ?右写真は保和殿付近から太和殿の方向を見た写真。とんでもなく広い宮殿です。
 左が乾清門を守る塗金青銅獅子像。左右一対あります。右が乾清宮のなかにある皇帝の執務室。乾清門から奥を内廷と呼び、皇帝の通常の執務や日常生活が行われる場所なんだそうです。乾清宮には皇帝の寝室もあり、暗殺を防ぐために27の寝台を毎日使い分けていたそうです。
 左写真は乾清宮の北側にある階段。中央には龍が彫られています。右は御花園にある堆秀山。太湖石でできた築山でとってもめずらいいものです。ここは皇子の遊び場にもなっていたとか。
 ここが故宮博物院の一番北側になる順貞門。ここから南側が有料エリアです。赤い壁がずうっと続くので紫禁城の広さをここでも実感できました。中国の地元っ子はここから入っていくようです。南側の午門よりずっと空いているからね。



土産物屋
 順貞門を出て神武門の脇には左写真のような長屋が続いています。このうちの一部屋に通されると、絵や字を書いた巻物をお土産として売っている土産物屋でした。そう!ここが有名なラストエンペラー溥儀の甥っ子が筆で字を書いてくれると言う土産物屋なんですね。右の写真のじいさんが溥儀の甥っ子なんだそうです。ほんとかな?長屋が続いていて他にも似たような部屋がいっぱいあったんだけど・・・。まさか溥儀の甥っ子が何十人もいるって事はないよね?この長屋に通された人、溥儀の甥っ子が右の写真の人だったか、否か、教えてくれないかなぁ。連絡先はここね。



トロリーバス
 故宮博物院の北側の出口から出ると景山前街という割と大きな道に出ます。ここは観光客もそれほど多くなく、かといってお店があるような場所でもなく、ただ単に車は目の前を通過していくような道なのですが、日本ではほとんど見ることのできない(黒四ダムくらいか)トロリーバスが目の前を走っていきます。さすが中国!と思ってしまう光景でした。だってクマ兄さんはTVで北朝鮮のトロリーバスくらいしか知らなかったんだもん。



万里の長城へ
 この道は北京市内から万里の長城(八達嶺)につづく高速道路です。北京市内は西安市内と比べ道路がかなり整備されてきれいでしたが、この高速道路もなかなかのものでした。日本の高速道路と遜色ありません。しかし、料金所は右上写真のような感じ。鉄格子が物々しい。料金受け取りの係員はどこでも若い女の子でした。
 途中で高速を降りて免税店をかねたレストランでこの旅6回目の中華料理フルコース。
 その後、再び高速を走ると左の写真のような場所を通って八達嶺を目指します。このときは周りに万里の長城が見えていて、すごいものを作ったもんだ!と感心してしまいました。八達嶺に行く途中の車中では居眠りせずにいろいろ見ておくことをオススメします。



万里の長城・八達嶺
八達嶺長城の入り口。 看板。
右の方でチケットを買ってゲートを通り入城します。このゲートを通過して右側が女坂、左側が男坂と呼ばれているそうです。女坂のほうが傾斜はゆるいですが頂上までの距離が長い。男坂のほうは傾斜がきついが頂上までは近いそうです。クマ兄さんとペンギン姉さんは右側の女坂のほうへ行きました。傾斜がゆるいって言われたから・・・。右の写真は女坂をバックに撮ったペンギン姉さん。
 最初のうちはそれほど傾斜もきつくありません。天気もよく、雪も残っていないためおしゃべりしたり写真をとったりしながら登りました。冬に訪れると雪が降り、足元が凍って歩くことができなくなることもあるそうです。
 ゆるいといってもこの傾斜。途中からは階段になります。傾斜がきつくなると人々の進む速度に差ができてくるため所々で渋滞が発生します。観光客も多いしね。
 クマ兄さんとペンギン姉さんは女坂に挑戦しましたが、時間と体力の都合から途中で引き返しちゃいました。それでもかなりきれいな景色を堪能することができました。どう?きれいでしょ!?
 この万里の長城は全長6000kmにもなり、西安のほうまで続いていました。宇宙から見える唯一の人口構造物、と言われたこともありましたが実際には肉眼で見ることはできないそうです。
 女坂を降りてきたらちょっとだけ時間があったのでクマ兄さんだけ男坂に上ってきました。すると途中のトン台と呼ばれる見張り台で左写真のようなお土産売りのおばちゃん集団に囲まれてしまいました。無視しましたが・・・。坂がきつく観光客の少ない男坂でこの強力なお土産屋はしつこかった。この人たちは入場券を買って入ってきているのだろうか・・・。



 万里の長城見学後、北京市内に戻って免税店?のお茶屋さんへ。そこで、試飲とお土
産を少し買って北京ダックの名店、全聚徳へ。



北京ダック
 北京ダックの名店、全聚徳。店内に入ると大ホールに円卓が所狭しと並んでいます。我々10人が着席するといろいろな」食材が運ばれてきます。そして、円卓の横では左写真のように北京ダックを捌いてくれます。このお店の?中国の?北京ダックは皮だけでなく身も一緒に分厚く切って一緒に食べます。しかも、かなりの量が出てきます。きられた北京ダックは右下写真のように生地に包んで、白髪ねぎと味噌を添えて食べます。美味い!北京ダックだけでも食べてみましたが、皮が脂っぽいので生地に包んだほうが美味しかった。この全聚徳は最近東京にも進出したそうですね。TVで見たら右下の一包みで550円とか。我々10人はみんな10包み以上食べたと思います。贅沢でした。



北京雑技団
 せっかく中国に着たのでオプションで北京雑技団を見に行きました。彼らは人間ではなく軟体動物ですね。
 中国では北京や上海に雑技団があり、その中で優秀な人が選ばれて中国雑技団という上の雑技団に進んでいくそうです。中国雑技団は海外遠征などが主で中国国内ではあまり見られないとか。
 軟体動物のオンパレード。信じられない体勢でポーズを決めます。
 皿回しもすごい!すごすぎて皿と棒がくっついているのでは?と疑ってしまいます。自転車にも何人乗っているのやら。でもよーく見ると、下になる人(土台になる人)はかなりごつい人ということがわかってきました。やはりね。



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